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家相について理解しよう。札幌工務店発信、先人の知恵から学ぶもの札幌本社

  • 奥林洋樹
2018.05.14


ブログ更新をしばらく様子見していたら、気が付けば1か月弱が経過する事になっていた。
更新が少ない事に頭を痛めているイゼッチハウス奥林、僭越ながらブログ更新致します。
ブログにもよく書いているのですが、個人的には文章を書くのが好きですので1本3000字以上(原稿用紙8枚弱)ぐらいの更新も、その気になれば週二本以上可能です。
但し、その頻度で更新を続けると更新履歴が私だけと言う状態が連綿と続く事になり、ブログ趣旨から考えても良いとは思えません。
イゼッチ役員で弊社広報の全般をご指導戴いているS氏からも、費用対効果から考えるブログの有用性について再三指導を受けておりますし、私自身、特に営業職はブログを利用して個人を理解して戴く事は少なからず書いた本人にその効果は帰結すると考えておりますのでブログ更新が活性化する事を望んでおります。

とは言え、更新を楽しみにしている『分かりにくく文字も多い、読みにくいブログ好きのコアなファン』(いるかどうか疑問ではありますが)の為に更新をいたしましょう。

映画が好きだ。
本も好きだし、美術館巡りもライフスタイルの一環としている。
残念ながら最近はご無沙汰ではあるがクラシック音楽鑑賞(コンサート)も好きである。
気が向けば画材を手に風光明媚な場所に赴き絵筆を握る。
拙いながらもクラシックギターをつま弾く。
よくよく考えて見れば時間が幾らあっても足りないほど、やりたい事に溢れている。
書斎の本棚からは既読、未読に関わらず本があふれ出している。

映画専門チャンネルで録画した、見たい映画は本体保存容量である150時間(1本2時間で計算すると、75本越え)を超過した為、外付けハードを利用して録画している。
無論、ジャンルを問わずアカデミー賞受賞作品は可能な限りリアルタイムで見る様に心がけている。
どの映画が一番好きかと問われると悩ましい所ではあるが、モーガン・フリーマンとブラッド・ピットがW主演している「セブン」は間違いなく好きな映画ベスト3に入る1本である。
ご覧になっていない方もおられると思うので概略を書くと
              映画好きチャンネルブログ写真より掲載


セブン』(Seven, 劇中の表記は"Se7en")は、猟奇殺人を描いた1995年アメリカ映画。監督はデヴィッド・フィンチャー。でキリスト教の「七つの大罪」をモチーフにした連続猟奇殺人事件と、その事件を追う刑事たちの姿を描いたサイコ・サスペンスです。
特に好きなシーンは
モーガン・フリーマン演じる退職間際の老刑事サマセットが、犯人の犯罪傾向に関する調べをする為に夜の図書館に行くシーンです。

顔なじみの守衛が、4名ポーカーに興じている。
サマセットはそんな守衛の一団を見上げながら
「守衛の諸君、理解に苦しむね。これだけの本があり知識を得られるチャンスだと言うのに君等ときたら…一晩中ポーカーだ」毎回この映画を見るたびにシビれるセリフです
サマセットの言葉に皮肉を返す守衛。そしてその後に流れ出すヨハン・ゼバスティアン・バッハのG線上のアリア
サマセットはダンテの新曲やカンタベリー物語を調べ(ちなみに個人的にこの映画に触発され、カンタベリー物語と神曲を読んだ。最初はとっっき難いが読み進めれば面白くなってくる名著です)コピーを取りブラッド・ピット演じるミルズへの手紙をしたためる。

今回のブログを書くにあたって初めて知ったのですが、このシーン撮影は本物の図書館では無く旧バンク・オブ・アメリカの建物で、撮影当時に空きビルだったところで行われたらしいです。
あの読書灯が整然と並ぶ机も本棚も全てセットだったのですね。
毎日の様に“学び”を心掛け実践はしているものの、結果として“無知の知”(自らが知らぬことばかりであると自覚する事。孔子の教えでは“これ知るを知ると成し知らざるを知らざると成す これ知れる也” と表現されている)を自覚するに留まっている。
尚一層、努力しなければと思う。

閑話休題


さて個人的趣味の話ばかりでは建築会社のブログにはふさわしくないので、今回は家相の話題にしましょう。
私が営業を行っていた当時(実はもともと営業で、キャリアもそこそこございます)数こそ多くないものの家相についてのご質問が度々ありました。
家相の基本は、住宅の中心から東西南北に線を引き、北東を表鬼門、南西を裏鬼門として忌方位としているアレです(アレで分かるかな?)
家相の根源から語り始めると一冊の本を書くくらいの長さとなってしまいますので割愛しますが(個人的には連載方式で書いても良いのですが、間違いなく興味の無い方には面白くないという変な自覚がある)
家相は①建築的に根拠のある知恵②家に対する社会的タブー③陰陽五行の占い的性質に大別されると言われています
①と②に関して言えば、先人の知恵から体験的に派生したと思われる温熱的な理由が非常に多いのがよく分かります。断熱レベルが低く上下水道整備のされていない時代において、鬼の通り道として玄関を造らない事や排水を設けないとする間取りの制限は科学的に根拠があったのですね 全館均等な室温が可能となった現代において従来で言われる家相学的な間取りは一気に意味がなくなりました。
現在はそういった分野を専門的に扱う「環境工学」というジャンルがあります。

もともと家相の本質は、情報のない時代、科学のない時代に、住んでからでないと気づきにくい【温度、風、光、音、匂い、プライバシー、衛生、構造など】目に見えないものを事前に予想し、快適な家をつくることだったと考えられており、科学的な根拠を文盲の人々に伝えるより寓話的に伝聞するほうが広まり易かったのが起源だと個人的に分析しております
家相を環境工学的に見ると、昔の性能の低い平屋の日本家屋や、建売のような安普請の住宅ならそういう傾向はあるでしょうが、我々がつくるような性能の高い住宅では当てはまらないという部分が多々あります。 現代において快適な家の実現のためには家相でなく環境工学を直接、研究する方が近道です。
家相が方位をベースとしているのは、温度や通風の状態が方位によって比較的左右されやすいということに基づいています。しかし、これは隣家の影響のない広い敷地でないと成り立ちません。


南側に隣家が立つような敷地で、家相を盲目的に採用すると、日の当たらない薄暗い寒い家ができあがり“住む”事に対する快適性においても不愉快な環境とならざる得なくなります
建築のプロとしては家相に対する盲目的信奉は戒めるべき物であると考えております。
家相を重視するご家庭にプラン説明をすると、毎回の様に「鬼門で主人が死ぬとか、商売がダメになる」と聞いたと言って、訂正を求められた経験があります。
 設計過程ならまだしも、最終的な建築確認図面が完成してから家相が出てきて訂正し、完成直前で別な家相の人が出てきてやり直しを余儀なくされた経験もございます。 そんな経験則から家相を気になさるお客様に対しては最終的には自分のお寺や神社に診て貰うことをお勧めしておりますし、場合によって建築をお断りする事もございます。
ビジネスとして建築請負は心から欲しいが、クライエントの信頼を得る事が不可能であると判断される場合に限られますが…

私個人の結論から言いますと、先人の知恵は直ちに否定するものではありませんが、学ぶ事多きは学び、時代変化により形骸化している物に対して盲目的に信奉する事は避けましょうと言う事です。
せっかくの新築です。優先されるべきは実際に生活をする家族の“快”であるべきだからです。

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